仕事とは何か?拘束時間?!

給与設計学

労働法規では拘束時間としています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_32105.html
(厚生労働省 令和6年4月から労働条件明示のルールが改正

拘束時間とは何を拘束しているのでしょうか?

肉体を?それとも頭脳を?精神を?野麦峠か蟹工船の時代とかの話しなら分かる気もしますが・・・

いや、現代でもあるのかもしれません。

仕事や、人間関係などで悩み、辞職したり、最悪の事態では死にまで追い込まれている現在の労働環境。

何故そのようなことが起こるのでしょうか?

仕事が上司の指揮命令による半ば強制的な拷問。パワハラ。セクハラ。
人間誰しも好き嫌いがあるのはしょうがない。相性もあるかもしれません。

私にはそれらを解決する方法を持ち合わせているわけではありませんが、
仕事という限定した視点で少し考えてみたいと思います。

仕事を拘束時間だとすると、肉体であれば一定の場所に物理的に拘束することは出来ますが、果たして頭の中(脳)はどうでしょうか?

精神的に安定していなければ頭脳は働かないから拘束は無理でしょう。

毎日毎日時間だけが過ぎ去り、拘束時間を耐え忍ぶだけで給与が支給される。
給与はサラリーマンにとって、我慢料だという声も巷では聞かれます。

現在にサラリーマンは社畜だともいわれます。

時間だけで仕事を評価しようとするから、
そのような考え方が生まれるのではないでしょうか。

仕事場所が常に同じで決まった業務だけを繰り返すような職種では、
時間で仕事量がある程度測定できます。むしろ時間の方が合理的かもしれません。

そういった仕事では時間管理が最も重要となり、時間内の個々人の能力差や
作業効率を上げる為のマニュアル等が有効なツールとなるでしょう。

しかし、

仕事場所が同じではなく、業務が複雑な頭脳労働(知識労働)となるとどうでしょう。

仕事の量と質について

この場合は、仕事の量ではなく質が問われるのです。

こういった最も生産性の高いといわれる頭脳労働(知識労働)に社会全体が急速に変化している現在、これまでのような時間管理だけでは仕事を測定できないのです。

カール・マルクスの労働価値説の中で、物の価値はその物に投下された全ての人の労働時間の集約で決まると言いました。

全ての物は人々が何らかの形で関わった肉体を使った労働時間の集約された成果物であると。

経済学ではその後、その成果物は使用者の満足度で価値が決定するとも言われます。

利用価値や使用価値で価格が決定されるとすれば、当然仕事の成果を測るにはその成果の目的、つまり何のために今仕事をしているのか?
その仕事の成果は何かを、社員自らが考えなければ意味のない仕事になってしまいます。

これが仕事(労働)の価値です。
一方、物の価格は需要と供給で決まります。

開かれた市場において自由な取引が前提として価格は決定されると言います。

では労働市場はどうでしょうか?
労働市場では、労働法によって給与の最低ベースが保証されています。

そして実際は、雇用契約時に給与が決定されます。

従業員にとって、個人の意思による労働の価値を価格に転嫁する方法は、
この一度の選択と決断のみで成立します。

これが労働契約ですが、そこで一度決定された価格(賃金)で契約が成立すると、
その双方からの価格の見直しはなかなか行われません。

よくある一般的な見直しは勤続年数と年功序列をベースとした定期昇給です。

これは、仕事内容にかかわらず、一定時間が経過すれば自動的に上がるという、
終身雇用と年功序列制の慣習からくる、我が国特有のものでしょう。

仕事の価値のギャップ

売り手の仕事の時間と買い手の仕事の価値に対するギャップは
労働時間と労働単価という形で現れます。

買い手である経営者は仕事の価値を、決して時間では見ていません。

時間給の仕事はそれに見合うだけの仕事しか用意されませんし、
期待もしないのは仕事の価値を見ているからです。

つまり、誰がしても成果に差がない仕事、交換できるという労働市場があるからです。
多少、効率的になっても時間で評価される仕事に生産性の向上は期待できません。

中小企業では、一人が何役もこなすという会社様が多いと思います。
すぐに即戦力となって動いてもらわなければなりません。

早く一人前になり独り立ちをできるような仕組みが非常に重要になります

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